「血糖値」と聞いて、どんなイメージを持っていますか?
「高いと良くない」「インスリンが下げるもの」──そんなイメージを持っている方が多いかもしれませんね。でも、私たちの体には、血糖値を上げることも必要不可欠だということをご存知でしょうか? いわば、体の「非常事態宣言」に対応するホルモンがあるんです。
その主役が、今回ご紹介する「グルカゴン」です。
血糖値の調整は、車のアクセルとブレーキのように、上げる仕組みと下げる仕組みの絶妙なバランスで成り立っています。もしも血糖値を上げる仕組みがなければ、私たちはちょっと空腹になっただけで、すぐに低血糖で倒れてしまうでしょう。
この記事では、血糖値維持の影の主役とも言える「グルカゴン」について、その驚きの働きと、日頃の生活でバランスを整えるための具体的な方法まで、分かりやすく解説していきます。
血糖値を上げる最大の功労者「グルカゴン」の基本
まずは、グルカゴンというホルモンの基本から見ていきましょう。
グルカゴンは、私たちの膵臓(すいぞう)のなかにある「ランゲルハンス島」という部分の「α(アルファ)細胞」で作られています。皆さんがよくご存じの、血糖値を下げるインスリンは、同じランゲルハンス島の「β(ベータ)細胞」で作られます。つまり、同じ器官の中で、全く逆の働きをするホルモンが隣り合わせで作られているんです。とても不思議ですね。
グルカゴンの最大の使命は、血液中のブドウ糖(血糖)を増やすことです。主に肝臓に働きかけて、「もう少し血糖を出してくれ!」と指令を出します。具体的には、以下の2つの方法で血糖値を上げます。
- グリコーゲンの分解を促す:肝臓に蓄えられている「グリコーゲン」という形の糖を、すぐに使えるブドウ糖に分解して血中に放出させます。これは素早い対応が求められる時に使われる方法です。
- 糖新生を促す:アミノ酸や乳酸、グリセロールなど、糖以外の材料から新しいブドウ糖を作り出す過程を促進します。これは、蓄えているグリコーゲンが少なくなった時に、持続的にエネルギーを供給するための方法です。
つまり、グルカゴンは「貯金を引き出す」と「新たにお金を稼ぐ」の、両方のアプローチで体のエネルギー危機を救っているのです。
グルカゴンは独りじゃない! 血糖値を上げるホルモンのチームワーク
ここで重要なのは、血糖値を上げる仕事をしているのは、グルカゴンだけではないということです。グルカゴンを中心に、状況に応じて様々な「血糖上昇ホルモン」がチームを組んで働いています。彼らはいわば「非常事態対応チーム」です。
- アドレナリン(エピネフリン): 恐怖や興奮、ストレスを感じた時に、副腎から大量に分泌されます。「戦うか逃げるか」という緊急事態に、心拍数を上げ、エネルギーを全身に供給するため、肝臓でのグリコーゲン分解を爆発的に促進します。瞬発力が命の場面での切り札です。
- コルチゾール: 副腎から分泌され、別名「ストレスホルモン」とも呼ばれます。慢性的なストレス下で分泌が増え、血糖値を長期的に上昇させる働きをします。具体的には、タンパク質を分解して糖新生の材料を増やしたり、脂肪分解を促したり、さらにはインスリンの効きを悪くして、結果的に血糖値を上げやすくします。
- 成長ホルモン: その名の通り、成長を促すホルモンですが、同時に強力なインスリン拮抗ホルモンでもあります。分泌が過剰な「先端巨大症」の患者さんに糖尿病が合併しやすいのは、このためです。
こうしてみると、私たちの体は、短期的なエネルギー需要(アドレナリン)、中期的な飢餓や活動への対応(グルカゴン)、長期的なストレスや成長への備え(コルチゾール、成長ホルモン)と、複数のホルモンを用意して、あらゆる状況下でも血糖を確保しようとしていることが分かります。グルカゴンは、このチームの中心メンバーと言える存在なのです。
糖尿病と深い関係? グルカゴン分泌の「異常」とは
さて、健康な状態では、血糖値が下がればグルカゴンが分泌され、上がれば分泌が抑えられるという、美しいフィードバック機構が働いています。しかし、この調節が壊れてしまうと、大変なことになります。特に「糖尿病」では、グルカゴン分泌の異常が病態の根幹にあることがわかってきました。
近年注目されている「グルカゴン中心仮説」という考え方があります。これは、糖尿病の根本原因はインスリンの不足だけでなく、グルカゴンが過剰に分泌され続けていることにもあるという説です。
例えば2型糖尿病では、「食後高グルカゴン血症」という現象が見られます。本来なら、食事をして血糖が上がればグルカゴン分泌は抑えられるべきなのに、抑えきれずに分泌が続いてしまうのです。その結果、食べ物から糖が吸収されているにもかかわらず、肝臓はグルカゴンの指令で「もっと糖を作れ!」と、新たに糖を作り続けてしまいます。これが食後の急激な高血糖をさらに悪化させる一因になっているのです。
この仮説を裏付ける実験があります。グルカゴンの受容体を持たないマウスは、インスリンを分泌する細胞を破壊されても、重度の高血糖やケトアシドーシス(糖尿病の重篤な合併症)を起こしにくいことが確認されています。つまり、「インスリンがなくても、グルカゴンが働かなければ極端な高血糖にはならないかもしれない」という可能性を示しているのです。
このことは、糖尿病治療において、インスリンを補うだけでなく、この暴走するグルカゴンの作用を適切に抑えることも非常に重要であることを教えてくれます。
薬と生活の両面から考える、ホルモンバランスの調整法
では、この重要な血糖上昇ホルモンたち、特にその中心であるグルカゴンのバランスを整えるには、どうしたら良いのでしょうか? 方法は大きく2つ、薬による調整と、生活習慣による調整です。
薬による調整
現代の糖尿病治療では、グルカゴンの働きを間接的・直接的に調整する薬が使われています。
- GLP-1受容体作動薬: 今や糖尿病治療の主役の一つとなっているこの注射薬は、インスリンの分泌を促すと同時に、グルカゴンの分泌を強力に抑制する働きを持っています。これにより、肝臓からの余計な糖の放出を抑え、特に食後の血糖上昇を緩やかにします。
- SGLT2阻害薬: 尿中へ糖を排出させる薬ですが、この作用が体を「軽い飢餓状態」と錯覚させ、グルカゴンの分泌を増やしてしまう場合があります。そのため、他の薬と組み合わせて使われることが多いです。
- (開発中の薬): グルカゴンそのものの受容体を直接ブロックする「グルカゴン受容体拮抗薬」など、新しい作用機序の薬も研究されています。
生活習慣による調整
私たちに今すぐできるのは、生活の中で「血糖を必要以上に上げる指令」を出さないようにすることです。そのカギを握るのは、先ほど登場した「ストレスホルモン」たちです。
- ストレスマネジメント: 慢性的な心理的ストレスは、コルチゾールの持続的な分泌を招き、インスリンの効きを悪くします。毎日少しでもリラックスする時間を作る、深呼吸をする、趣味に没頭する時間を持つなど、自分なりのストレス解消法を見つけましょう。
- 質の高い睡眠をとる: 睡眠不足は、コルチゾールの分泌リズムを乱し、翌日のインスリン感受性を低下させることが知られています。寝る前のスマートフォン操作を控え、規則正しい生活リズムを心がけることが、思わぬところで血糖コントロールを助けます。
- 適切な運動: 運動は長期的にはインスリン感受性を高めます。ただし、激しい無酸素運動は一時的にアドレナリンを放出させ、血糖値を上げる場合があります。ウォーキングや軽いジョギングなどの有酸素運動を定期的に行うことがおすすめです。
- カフェイン・アルコールと付き合う: カフェインもコルチゾールを上昇させる可能性があります。アルコールの過剰摂取も血糖値の乱れの原因になります。ご自身の体の反応を観察しながら、適量を楽しむことが大切です。
血糖値を上げるホルモンの真の役割を知る
いかがでしたか?
グルカゴンをはじめとする「血糖値を上げるホルモン」は、決して悪者ではありません。むしろ、私たちが飢餓やストレスという生存の危機を乗り越えるために、進化が残してくれた、かけがえのない生命維持装置なのです。
問題は、その装置が、現代の飽食やストレスフルな生活の中で、誤作動や暴走を起こしてしまうことにあるのです。
血糖値の健康を考える上で重要なのは、「下げること」だけに目を向けるのではなく、「上げるしくみ」も含めた全体のバランスを理解することです。それは、私たちの体が、どんなに精巧で繊細なシステムの上に成り立っているかを知ることであり、そのシステムを整える生活を選ぶことは、自分自身の健康に対する最高の投資になるはずです。
今回の記事が、あなたの健康を見つめ直す一つのきっかけになれば、これ以上の喜びはありません。
